【ジブリファン必見】久石譲を語り尽くすブログ

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紅の豚に採用された久石譲のソロ曲に込められた思いとは

紅の豚」が公開された1992年、久石譲はソロアルバム「My Lost City」を発表する。

それは、芸術家が光輝き活躍していた1920年代のアメリカをテーマにして制作されたアルバムで、
それは宮﨑駿が「紅の豚」の舞台に選んだ1920年末という時代設定と偶然合致する。
そして久石譲のアルバム「My Lost City」を聴いた宮﨑駿はこう言ったという。

「あの曲が全部欲しい、全部『紅の豚』に欲しい」
(「I am -遙かなる音楽の道へ-」 / 久石譲 1992年)73pより引用

  

そもそも久石譲はなぜ1920年代をテーマにしたアルバムを制作しようと思ったのか。
1991年頃の久石譲が当初テーマに使用としていた言葉が「漂流者」だった。

都市生活者のような根なし草が持っているディレッタント*1をメインテーマにしたかった。
(「I am -遙かなる音楽の道へ-」 / 久石譲 1992年)15pより引用

 

そこで頭に浮かんだのがフィッツジェラルドの「My Lost City」という短編。
夜な夜なフィッツジェラルドの作品を読むほどになり、いつかはフィッツジェラルドをテーマにしたアルバムを作りたいと、その程度の思いで最初はいたようだが、ソロアルバムのソロアルバムの制作期間に入るや、なにか作ろうと考えた時にはもうフィッツジェラルドに支配されていたという。
そのまま作曲をすすめ、フィッツジェラルドに思いを馳せる中、テーマは徐々に1920年代という時代へと広がっていく。
久石譲が当初考えていた「漂流者」というキーワードは、そのまま久石譲の中のフィッツジェラルド像をモチーフとした楽曲「漂流者〜Drifting in the City」のタイトルに採用された。このアルバムの核となる代表曲だ。
それまでのソロアルバムが表面的にウケを狙ったものであるとしたら、このアルバムは久石譲の作家としての内面性が強く出たアルバムに仕上がった。
後に久石譲は「フィッツジェラルドを通して自分を見ていたと」著書『I am -遙かなる音楽の道へ-』の中で記している。

またこの頃、久石譲の中でソロアルバムのための音楽と映画のための音楽の垣根がなくなってきた時期でもある。
映画のための音楽でもソロアルバムのような作家性や自我を持って取り組めるようになってきたというのんだが、
紅の豚」の音楽に関しても「My Lost City」の延長のような、そんな気持ちで取り組んだのではないだろうか。

宮﨑駿監督からの要望で、映画オープニングの『時代の風-人が人でいられた時-』は、「My Lost City」の『1920~Age of Illusion』をイメージして制作されており、また飛行艇が川から飛び立つシーンでは『Madness(狂気)』がそのまま使用された。(短いイントロが挿入されている)
メインテーマの『マルコとジーナのテーマ』は映画「ふたり」(大林宣彦監督)のテーマで「My Lost City」収録の『Two of Us』とモチーフが同じだ。

久石譲の映画音楽の転機には宮﨑駿が深く関わっているが、「紅の豚」に関しても同様に映画音楽家として新しい局面を迎えたときに音楽を手がけている。
やはり運命的な不思議なめぐり合わせがある。

 

 

My Lost City

My Lost City

 

 

*1:ディレッタント(〈英〉・〈フランス〉dilettante) 芸術や学問を趣味として愛好する人。好事家(こうずか)。ジレッタント。 (デジタル大辞泉